
丸森町の冬の風物詩、干し柿。大張地区で干し柿づくりと養蚕を営んでいる佐藤靖さんにお話を伺いました。
――干し柿シーズン真っ最中ですね。
そうですね。今は毎週末、仙台に直売に行っています。仙台駅の直売を始めてから4~5年になるのですが、だんだんとお客さんに覚えてもらえるようになってきました。
――干し柿が出来上がるまでには、どんな工程がありますか
1月から木の剪定を行います。3月には肥料をやり、6月から10月は草刈りと消毒をします。11月中旬に収穫、皮むき、そして翌1月から出荷が始まります。普通の果樹の場合は実が成ればゴールですが、皮むき加工が必要な干し柿の場合は剪定から出荷まで1年越しとなるので、その間に天変地異があったりするとダメになってしまうという怖さがあります。そういった手間も含めた価格を理解して買ってくださるお客様に出会えると、有難いですね。
――1年越しで出荷するというのは驚きです。養蚕もされていますが、干し柿と並行してやるのは大変ではありませんか?
養蚕は6月頃から始まるのですが、1か月サイクルで出荷になり、本当に忙しいのは最後の一週間くらいです。それ以外は作業が半日程度で終わるので、体が空いたところで柿の手入れをするという感じです。養蚕の1か月の工程が終わると、残渣(ざんさ)といって桑の葉の残りや蚕の糞が残るのですが、それを柿畑に撒くと、ちょうどいい肥料になります。養蚕と柿の組み合わせは相性がいいんです。昔は同じようにやっている農家さんも多かったのですが、養蚕が衰退してしまい、私が就農した平成17年にJA仙南みやぎの管轄で30軒あった養蚕農家も、今年は私のところの1軒だけになってしまいました。
養蚕は頑張っても価格が上がらないというのが、続ける難しさだと思います。それに加えて気候が変わってきたということもあります。養蚕に適した温度は25℃くらいなのですが、最近では真夏に35℃まで上がる日なんかもありますよね。蚕も33℃くらいまでは堪えてくれるのですが、それを超える日が続くと生理障害といって糸を吐かなくなってしまうんです。または繭は作るんだけど、サナギになる力がなく繭の中で死んでしまったり。今では7月~9月上旬の養蚕は、なかなか厳しいですね。何か他に干し柿と組み合わせのいい作物があれば移行するかもしれませんし、無理をしてでも養蚕を残そうというより、いつでも辞められるくらいの気持ちでいるのが続けていく上で大事だなと思っています。


――養蚕と干し柿というのは、組み合わせが良く土地に合った働き方だったのですね。子供の頃から、農家になる事を目指していたのですか?
次男なので家業を継ぐことは考えていませんでしたが、大学時代に飲食店でアルバイトをしていた事もあり、何かしら食に関わることはしたいなと思っていました。そんな時に「せんだいメディアテーク」で農業系のイベントがあり、そこで石塚養蜂園の石塚さんと知り合ったんです。以前から新聞で、首都圏から丸森町に移住をして新しい農業をしている人たちがいるということは知っていたのですが、そこで初めてお会いすることができ、あれよあれよという間にこの道に入っていました。それまで自分がイメージしていた農業というのは、農産物を作って農協に納めて「高かった」だの「安かった」だの言って終わり。上の世代の人達からは「農業は儲からないぞ」と呪文のように聞かされ続けていました。けれど石塚さんたちを見ていると、新しいものを作って売り先も自分たちで見つけてとにかく楽しそうで、やり方はいっぱいあるんだなということに気づかされました。
私も干し柿については、なるべく自分で販路を作ってきました。ファンがついてくると、変なものを出してお客さんが切れてしまったら大変だという責任感も生まれます。年数を重ねる毎に、だんだんと自分自身の技術が上がって品物も良くなってきたなという手ごたえを感じています。
佐藤ファーム
業種:農業
創業:2005年
産直EC:https://poke-m.com/producers/315028
文 / 山下久美
写真 / 佐藤浩子