【リトル マイ KOSAI】6つぶ目。

年々、一年があっという間に感じます。
何かを書き続けて発信することは初めてで、かなり力んでいた気も…
最終回は振り返りと、これからについて書いてみようと思います。

ちょっと長いですが、よければゆっくりしていってください。


夢は変わらず(?)


数回ごとに、夢は半農半芸とふわっと語ってきました。

この夢を抱くようになったのは2019年、大学1年の頃からです。
この年の10月、転機となった作品「リトル・フォレスト」に出会いました。

──主人公のいち子は、都会で自分の居場所を見つけられず、東北地方のとある村の中の小さな集落「小森」に戻ってきた。商店などはなく、自給自足が基本の小森。いち子はひとり、稲を育てて、畑仕事をして、山の恵みをもらいながら日々のご飯をつくる。自然に向き合いながら、おいしいご飯とともに、自分を見つめなおしていく。──

原作は五十嵐大介による2巻完結の漫画で、「夏・秋」「冬・春」の2部作で映画化されました。

小斎の散歩道 たまにクマかイノシシの気配がして身構える

この小森という集落名と、馴染みのある緑豊かな風景と東北訛り、それから、いち子の生い立ち。
ふるさとである丸森と、自分自身と重なるものを感じて以来、ブレそうになった時は必ず思い返す大切な作品です。

私は一度、高校進学のタイミングで丸森を離れました。
色々あって離れたい気持ちが強かったため、念願のアパート暮らしやエッジの効いた友人たちとの出会い、見るもの行くところ全てが新鮮で、日々刺激的でした。
が、都会での暮らしが次第に苦しくなり、家庭環境の変化もきっかけとなって、最後の一年間は実家から電車を乗り継いで通学していました。

進学先は、学びたいことの関係と家の事情で県外の大学へ。
ここでもさまざまな出会いと経験がありました。

基本的に対人関係スキルが低いので、高校では入学後一か月、大学では入学後半年間、ろくに喋れる人がいなかったのは…今となっては、ややいい思い出です。


いいタイミング

「春」や「夏」には旬の山菜、野菜が育ち、「秋」には稲刈りをし、「冬」には保存食を食べながら、次の一年の準備をして過ごす。
作中の時間はゆっくり穏やかに流れていきます。

ある「冬」の日、春のために畑を耕すおばあちゃんが
「なんにでも、いいタイミングっつーもんが、あるもんだ」と言うシーンの後に、
鍋で小豆を煮ながら「多分、私も、ここを出るのが早すぎた」といち子が考えるシーンが続きます。

いち子にとっては、小森に帰ってきたというよりも、他に逃げ場がなくて戻ってきて、向き合わなければいけないことから、目をそむけているような感覚。
ぐずぐずしたままでいることが、小森に、そして小森で覚悟をもって生きているみんなに失礼なんじゃないか、という悩みを抱えています。

小斎の畑 7年前くらい この畑に作付したのはこれが最後

私が高校で丸森を出たのも、いいタイミングだったのかもしれません。

町の外を知っていなかったら、大学の卒業研究で丸森をテーマとすることもなかったと思います。
祖父についていって忙しい畑仕事を手伝うこともなかったと思います。

しかし、大学時代は、人には言いませんでしたがかなりひどいホームシックでした。
帰省の度に家の手伝いをして気を紛らわし、アパートに戻る日の前の晩は布団の中でぐずぐずと泣き…
感染症の時期も重なり、自分のこんな状態が続くなら実家に戻ってしまおうか、と考えることも多かったです。

いち子がトマト栽培に苦戦するシーンがあります。
雨の多い小森では、ほとんどの家でトマトはハウス栽培。いち子はずっと露地栽培で、収穫はわずか。でも、いち子はなかなかハウスを手に入れようとしません。


「ハウスを建てたら、ずっと小森に居着いてしまうような気がして、ずっと先延ばしにしている」
一人で頑張って生きているものの、どこか煮え切らないところのあるいち子に、幼馴染の「キッコ」「ユウ太」は時に厳しく接します。
その言葉が、私にも言われているような感覚でした。


どこに骨を埋めたいか

種を蒔く。成長する。目標を達成して、次の種の準備をする。
生きることはその繰り返しで、今日は未来に繋がっている。

大学1年のお盆、お墓参りしているときに気づいたのが
「私は多分、この町で生ききって終わりたい」という自分の理想の最期でした。

小斎の物見やぐら

実を言うとこの一、二年、畑仕事はほとんどやれていません。

石なし下戸なし百姓なし、バリアもなし!な農業をしたいと意気込んでいたものの、具体的なアクションを描けず、もやもやしながら過ごしていました。
まずどこから手を付けるか?何をどのくらい作るのか?荒れた農地をどうするか?

そもそも、本当に半農半芸がやりたいのか?
やったとしても、どちらも中途半端になるだけで、覚悟のある人たちに失礼ではないか?

指標であり理想である大好きなリトルフォレストですら、何度観返しても、味のしないガムを噛んでるような感覚で、深く考えることから逃げる日が続きました。
キッコの「口先ばっかじゃん」という言葉が頭によぎります。


価値観ピラミッドの一番上

そこで、しばらく自分の価値観を考えていました。
頭の中で湧き出る泥をかき分け続ける中、ようやくはっきりした、最も大切にしたいものが「調和」でした。

例えばそれは、地域と人に調和し、特色を感じる地名。
赤の他人同士が、お互いを認め合って同じ時間を過ごすこと。
肉の個性とハーブの香りがうまく掛け合わさってうまれる美味しい料理。
自然と人が共に在る暮らし。

そして、リトルフォレストで描かれているのは、健やかで穏やかな、調和そのもの。

先日、とても印象的だった、とある農家さんの一言があります。

仕事のやりがいやモチベーションは?という問いに対し、「クセのあるこの土地を、誰よりもうまく活かせていると感じたとき」という答え。
芯を感じるこの言葉で、重たい泥が一気に軽くなりました。

地名や古いもの、日常にあるふとしたものに光るささやかな魅力を捉えたい。
ここ数年そう考えてやってきたことと、重なるものがありました。
価値観が整理できたのは、この数日後でした。


「生きるために食べる。食べるためにつくる」

ずっと頭にある農業はやっていきたいという気持ち。けど、どんな風に?

そもそも、半農半Xとは「自身が食べていくための農業を、別の何かと組み合わせたライフスタイル」。
必要な食糧の自給と、やりたいことの追求が合わさったスタイルです。

「生きるために食べる。食べるためにつくる。」

映画リトルフォレストのコピーは、シンプルながら、ありたい姿そのものでした。

まず今年は、手伝いではなく、栽培計画のとこから野菜をつくろうと思います。
他でもない、自分が生きるために。祖父がつけていた農家日記を読み返しながら。

その次は、好きな野菜を育ててみたいです。
例えば、ナス、スイカ、福耳なんばん、アスパラ菜、じゃがいも。
諸先輩方が、長年の経験を踏まえ手塩に掛けてつくったものの方が、間違いなく美味しいです。
それでも、好きな野菜を育てて、料理して食べるところまでを自分でやってみる。
この一年を過ごすことに意味があります。

その次の次は、土地に合ったものを育ててみたい。
うちの畑は毎年スギナが繁茂します。毎年のように土壌改良していましたが、あまり効果は見られず…
そしてしっかり(?)イノシシやサルに餌場と認識されています。
「西の魔女が死んだ」で有名な言葉のように、その土地だからこそ美味しく育つものを、時間をかけて見つけていこうと思います。

誰よりもこの土地の得意や不得意、個性や魅力を知っているし、それをうまく活用できる。
そんな姿が、一つ目の理想です。


「エンジョイよりラブ」

もともと、まずやってみるゼミナール(まずゼミ)に参加したのは、自分を見つめなおすためでした。

尊敬していた祖父に末期の病が見つかり、自宅で弱っていく姿にきちんと向き合えず、実感のないまま四十九日を迎える頃に、まずゼミ開催の話を聞いたことがきっかけです。

やりたいことをやっていいのか?そもそもやりたいことって何だったろうか?私は最期をどんな風に迎えたいか?ひどく迷っていた時期でした。

起業を目指す情熱ある方々に混じって、参加させていただきました。

結果的に、参加で終わることなく、ここで文を書くことに繋がったり、ちゃんと自分に向き合えたことは、重要な分岐点だったと思います。

そして、私のやりたいことは、やはり表現することです。
一人っ子で、地域に遊び相手は少なく、外遊びや運動は苦手。
そんな幼少期、遊ぶ手段は消去法で「好きなものをお絵かき」でした。
ある意味、逃げだった表現が、今となっては私という人間から切り離したら私ではなくなる、アイデンティティとなっていました。

高校時代 迷った末に葉っぱと人を描いたグループ展

表現する上で尊敬しているのが、染色家の柚木沙弥郎です。
2024年に101歳で亡くなるその直前まで現役のアーティスト、「人間はいつもワクワクしてなきゃダメ」を生涯貫いた人です。
柚木にとって、いい仕事をする上で肝心なのは「青臭いけれど、情熱、そして気力」。
まちや物をよく観察し、いつも何かを描いていて、常に頭の中はワクワクしたアイディアで溢れている。
第一印象は可愛らしいおじいちゃん、でも内側ではいつまでも情熱が燃え続けている。

「エンジョイ(楽しい)よりラブ(面白い)」

柚木の仕事観、人生観の一つであるこの言葉は、私が理想とするクリエイティブです。
仕事は楽しいだけじゃ、ちょっと足りない。
私がこれまで出会ってきて凄いと感じた人たちは、みんなどんな状況も面白がっていました。
自分の内から湧き上がってくるものを信じ、面白く生きている人に、そうでない人が勝ることはありません。
そんな仕事とクリエイティブができる人間になる。これが二つ目の理想です。


この町のどこかで、また。

地名研究は、私にとって郷土を知るための手段でしたが、先人たちの生き様に触れる度に自分の生き方を考えるようになっていました。
そしてここで文を書いたこと。
大事なことに向き合えず逃げがちな私が、半歩は進めた…と思っています。

造園屋に勤めて三年目になりました。
ハーブに魅了されたり、宿に飾る絵を描いたり、丸森フィールドワークなるものが実現したり、入る前は全く想像していなかったことだらけで、エキゾチックで、しびれます。
毎日が面白いけれど、尊敬している人々はまだまだ遠くにいます。

まだ、誰かの言葉でしか理想の生き方を言い表せません。
でもきっと、自分でとにかくやってみる。そうすればいつか、自分の言葉が見つかるのだと信じています。

一年間、お付き合いいただきありがとうございました!

私はずっと丸森で生きていきます。またどこかで。

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